セカンドアルバム「キープ・イット・アップ」の北米リリースが1981年の11月ということで、このバンドもリアル
タイムで経験したうちの一つ。JOURNEYなどと同様、よりコマーシャルなハードポップロックバンドという意味
なのか、「アリーナ・ロック」等と揶揄される向きもあったようだが、少なくとも俺は嫌いじゃなかった。
(といっても、この2枚だけね。)
もうこの説明にも飽きられているとは思うけど、FOREIGNER や NIGHT RANGER
といったバンド同様、彼らも又、1985〜6年頃の「パワーバラードブーム」に乗っかった結果、勢いを失ったバンドの一つと言わざるを
得ないだろう。このことは別に思い込みだけで言っているわけではなくて、チャートにもしっかりと表れている。
デビューから1985年までの間、Billboard の Hot Mainstream Rock Tracks Chart で 上位11位までにチャート
インした彼らのシングルをピックアップしてみると、Turn Me Loose (6位)、Workign For The Weekend (2位)、
Hot Girls In Love (2位)、Queen Of The Broken Hearts (11位)、 Lovin' Every Minute Of It (3位)と、どれも
スタンダードなハードロック/ハードポップチューンばかりだ。ところが、1986年にアルバム Lovin' Every Minute Of It からシングルカット
したバラード This Could Be The Night が9位にランクインすると、とうとう翌年にはあの映画、トップガンのサントラとして、ベタベタのバラード
Heaven In Your Eyes をリリースしてしまう。
この曲は、同じ Billboard の Top 100 でこそ、映画人気に乗っかってなんとか12位にランクインしたものの
H.M.R.T.チャートではとうとうランク入りせずに終わっている。(=リスナーに「ロック」だと認めてもらえなかった。)
一方、アルバム/Lovin' Every.. 自体も、母国カナダで初めてトップ20入りを逃したアルバムとなってしまい
(22位)、続く通算5枚目のアルバム Wild Side からは、当時 Slippery When Wet リリース直後で飛ぶ鳥落とす
勢いだったジョン・ボン・ジョヴィ/リッチー・サンボラのペンによるシングル Notorious が、かろうじて H.M.R.T.
チャートの8位に滑り込むものの、アルバム自体はとうとうUSチャートで42位止まり、母国でも21位といった
ありさまで、結局翌1988年に解散してしまう。かの「バラード・ブーム」の功罪たるやかくの如し、である。
所でこのバンドのギタリスト/ポール・ディーンさんってのは、なかなかに商才も兼ね備えた人であったらしく、
アメリカで入門者向け廉価ギター「HONDO」ブランドを展開していた Musicorp という会社と契約して、自身の
シグネイチャーモデルを発表している。
ここで紹介する Hondo Paul Dean Model はメイプル指板だが、Working For The Weekend のプロモビデオで
見られるものはローズ系指板のようだ。
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