オリジナルアルバムは3枚出てるはずなんですが、なんつってもこの2枚目だと思うんですよ。
これ又結構あるパターンだと思うんですが、1枚目はまだまだ経験不足。3枚目は早くもネタ切れ。
結果的に2枚目がBESTだったね、みたいな。経験、気力、楽曲、そしてタイミング。売れる為には
いろんなものが必要ってことなんでしょうか。
中心人物がギタリスト/コンポーザーのエイドリアン・ヴァンデンバーグであることは、バンド名からも
明白ですが、この人、1981年に、シン・リジー/ホワイトスネイクというバンドのオーディションに
続けて落っこちゃってんのね。ぢゃぁってんで自分のバンド作ってファーストアルバムを作成したのが
翌年。これがアメリカではそこそこ売れて、そこから日本でも人気出てきたように記憶してます。
更に翌1983年末にこの2枚目を発表するんだけど、ここからのシングル「Friday Night」が秀逸な
ハードポップロックでありながら、ギター・ソロに「思わずコピーしたくなる」フレーズがかまされていて
かくいう自分もコピーしました。(1984年、中央&フェリス&共立とのジョイント・コンサート、新入生
合同曲だったはず。既に30年以上前か...)
途中にアラビア音階っぽいとこがあったりして、なんというか、フレージングにリッチーやマイケルに
通ずるところがあったというか、日本人ウケするフレーズを弾くギタリストだったんだと思うのね。
もう一つ言えばこのアルバム、曲もいいんですよ。キャッチーなA1、A2/B1のようなミドルテンポ、
B5のようなバスドラツインドカドカ系、そしてアコースティック・ギターのゆったりしたイントロで始まる
パワーバラードのA4。
時には軽くミュートを掛けることもあった速弾き部分と、ビブラートを効かせたスロー部分をうまいこと
ミックスしてギター・ソロを構築していく。そんな感じでしたね。晴れてホワイト・スネイクのメンバーに
なってからは(今度は「来てちょ!」って言われたんだねw)、流石にそれ系のロック・アーム付きを
使っていましたが、ヴァンデンバーグ時代はレス・ポールでしたから。彼も又、ビブラートは左手で
かなりガッツリ効かせていて、そういう意味では彼がリジーのオーディションを受けた翌年、リジーに
加入したのがジョン・サイクスで、更に1984年、そのサイクスがホワイトスネイクに参加すると、
後を追うかのようにホワイトスネイクに参加し、サイクスの相方となったのがエイドリアンであったと
いうのは、個人的に実に興味深いところです。(しかもその後、サイクス辞めちゃってるし。)
もっとも、80年代の終わりに「弾けないからだ」(腱鞘炎に起因した麻痺だったとか)になってからは
少しずつシーンから遠ざかって行き、最近は殆ど音楽活動してないみたいですね。なんでも、ピックを
ピースコンに持ち替えて、エアブラシ作家になっちゃってるらしい。オランダ人、飽きっぽいからな。
今の勤め先に入社した年、九州の港で外航船に乗ったのですが、その時のクルーがオランダ人
でした。1986年のことです。「ヴァンデンバーグってバンド知ってる?」と聞きましたら「え?誰?」と
言われました。が、すぐに、「あ〜っ!! ふぁん でん ふぇるく のことね!」と。
ヴァンデンバーグって一語ではなくて、Van Den Bergと三語からなっている苗字なんですね。
なかには、「名前にVanがつくのは貴族層の出身」などと言うオランダ人もいましたが、これは結構
眉唾情報らいしいですw 画家のゴッホもフルネームはVincent Van Gogh、ですよね。
ということで、そうです。Edward & Alex Van Halenも、オランダ系アメリカ人。
苗字にVanが入ってるデッカイ奴らは,、基本オランダ系ってことで。(爆)
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